一昨年(2019年)辺り、少し世間で話題になった地球平面説をご存じだろうか?読んで字の如く、地球は平らであるとする主張だ。
本日、面白い本を見つけてしまった。
Kindle版がないのが残念である。
さて、この本が届く前に、私が地球平面説を人権問題だと思っているという話をしたい。本を読んだ結果、考えは変わるかもしれないからだ。
地球の反対側の人が落ちないのが分からない
話題になった当時、身近な人物、私の妹から実に興味深い話を聞いた。
というのも、彼女は実は感覚的に 地球の裏側にいる人達が下に落ちないのが分からないらしい。
強調して言うが、感覚的にである。
当然ながら、彼女自身、その感覚を否定している。彼女は当然に万有引力を知っているし、当然に万有引力があるから地面に立てることを知っている。地球の裏側は下ではないことを当然に知っているし、物は下に落ちるのではなく、引力のある方に落ちるだけだと知っている。
しかし、それでもなお、彼女の精神世界においてイメージされる地球には上下があり、下にいる人が落ちないのが分からないらしいのだ。
馬鹿げた感覚なのか?
実に馬鹿げた感覚だ、ありえない、頭おかしいんじゃないのか、と頭の残念な人は思うだろう。しかし、理屈で理解できても、直感的に分かっても、それでもなお、感覚的に分からない物なんていくらでもある。そもそも、私にとっては理屈すら分からない物の方が、世の中多い。特殊相対性理論とか量子論とか、感覚はおろか理屈ですら理解できない。
例えば、実は私は0.9..... = 1が感覚的に理解できない。直感的には理解できる。何故なら特に考えなくても、以下の様な数式が頭に浮かぶからだ。
しかし、が1であるとイメージせよと言われると、イメージできないのだ。どう頑張っても、私はは 1-無限小だから1と言う風にしか理解できない。
無限小が0と同値なのは感覚的に理解できる。それでも、はどう頑張っても感覚的に1にはならないのだ。1ではない、何かになるような気がしてしまう。恐らく、私の感覚が文字に強く結びついているからだろう。 1 - 無限小 という形に変換しない限りは感覚的に納得できないのだ。かといって、超準解析の世界も感覚的にわからない。
愚か者と嗤うなら、嗤ってくれて良い。君はあらゆる真理を完全に理解し、感覚的に悟った神に等しい何かなのだろう。
私はが理解できない愚か者だ。ならば、地球の裏側の人達が下に落ちないことを感覚的に理解できない妹を、何故に私が嗤うことが出来ようか。私と妹は同レベルにしか思えない。
妹の感覚を正当化すれば、地球平面説に辿り着くのだろう。ならば、私と地球平面説を唱える人達に、実は大差ないのではないかと思うのだ。
科学の否定なのか、それとも科学に否定されているのか
この話題を目にした当時、陰謀論、科学の否定、そう言った言葉を記事で読んだ。私も安易にそう思った。
しかし、本質はそこなのだろうか?
精神的な世界において、地球が平面としか思えない彼らを、科学は否定している。彼らの精神を否定している。つまりは、思想の否定へと繋がる。思想の自由の否定である。ならば人権問題だ。
彼らは、自らの人権を否定されることに対する、怒りの声をあげているのではなかろうか?自らの人権が守られるコミュニティを作ろうとしてるだけなのではなかろうか?
私も妹も、「は1ではない」とも「地球の裏側には立てない」とも主張するつもりはない。それは、単に怒りを感じてないから、科学に寄れるだけではなかろうか。
私は妹の話を聞いて以来、そういう風に考えているのである。
無論、真実かどうかなどは知らない。人の数だけ、答えも違うだろう。本が届くのが実に楽しみである。
あ、なお、本は購入しましたが、私は地球平面説は理解できません。地球が曲面だなんて、海見てりゃ分かる。